町村合併促進法 ( ちょうそんがっぺいそくしんほう)
昭和の町村大合併
〈シャウプ勧告と戦後の町村合併〉
戦後の 町村合併 は、昭和24年(1949)に出された
シャウプ勧告 に起因する。勧告は日本財政の健全化を図るため、税財政の基本的解決策を明示したが、それに関連して地方自治確立の本旨を実現するため、地方税財政制度改革と地方行政制度、及び地方行政事務の再配分について勧告した。その中で@行政責任明確化の原則、A能率の原則、B市町村優先の原則を掲げた。市町村優先の原則を有効に実現するために、小町村の合併が勧告された。行政事務の再配分によって、当然増加する事務を完全に処理する行政上 財政上の能力を市町村に持たせる必要があったからである。
シャウプ勧告は戦後の町村合併推進に理論的根拠を与えた。県下では25年4月、臼杵町 海辺(あまべ)村の合併により臼杵市が成立した。25年10月現在、県下の市町村数は6市37町174村で、うち人口5,000以下の町村は168あった。県下の1町村当たり平均人口は4,258であり、全国平均5,121に対してはるかに少ない。県は当面、1町村平均5千人を目標に町村数を150未満とする計画をたて、合併を勧奨した。26年4月11件の合併が 進捗(しんちょく)したのはその成果であった。この時津久見市が成立した。26年の合併により、21町村を減じ県下市町村数は7市40町149村となった。
〈町村合併促進法〉
シャウプ勧告に基づいて、政府は行政事務の再配分を検討するため、昭和25年1月、諮問機関として地方行政調査委員会議を設置した。同会議は12月、地方公共団体の規模の合理化について「人口七、八千程度を標準として(中略)その規模の合理化を図るべきであると考える。その実施にあたっては、府県単位に委員会を設けて、地方の実情に即した具体化の方法を調査研究することが適当」と勧告した。政府は自治庁(現自治省)を中心として、町村合併促進法案作成に着手した。28年9月公布された町村合併促進法は10月から施行されることとなった。
町村合併により弱小町村を解消し、町村規模の適性化を図ることは地方自治の基盤を強化し、地方行政を簡素合理化する基本であり、国勢全般の合理的能率的運営に寄与するところが大きいとされた。政府は9月11日の閣議において、町村合併促進法の施行を機とし、今後3年間に現在の町村数を3分の1とすることを目途として、強力にその推進にあたる方針を決定した。直ちに町村合併推進本部を内閣に設け、基本方針及び基本計画を定めてこの画期的な大事業を推進することになった。町村制施行に伴う「明治の町村大合併」に次ぐ「昭和の町村大合併」事業であった。10月24日町村合併促進本部決定、30日閣議決定の町村合併促進基本計画は、3年間で人口8千未満の小規模町村を合併し、町村数を約3分の1にしようとするものであった。合併進捗率は28年度15%、29年度65%、30年度10%、31年度(法有効期限9月30日まで)10%と規定した。29年度に重点を置いたのは、30年4月の地方選挙に対処するためであった。
〈町村合併促進法下の町村合併〉
町村合併促進法施行時の県下町村数は188、うち人口8,000以上の町村は17で全体の9%にすぎなかった。1町村あたり平均人口は4,566であり、しかも4,000未満の町村が56%を占めていた。特に直入 南海部 宇佐3郡では小規模町村が多く、平均人口は4,000未満であった。大分県では28年初頭、すでに町村合併促進法成立を見越して町村合併の検討を進めていた。法案が国会を通過した8月、早くも総務部長は各地方事務所長あて「町村合併について」を発した。これは、地方事務所管内町村の行政 地勢 住民感情 経済的諸条件等町村勢や郡勢の実態を把握し、円滑な町村合併を推進するよう指導したものであった。10月、大分県町村合併促進審議会条例が施行された。審議会は知事の諮問に応じて、町村合併に関する計画の策定について調査審議するとともに、合併促進について啓発 勧奨 斡旋(あっせん)活動を行うものであった。12月の第2回審議会以後、本格的に合併計画の検討に入った。審議は合併機運の高まった地域から順次進め、それによってさらに他の地域の合併機運を高めていった。このようにして29年3月末には竹田、鶴崎の2市と3町村が新設され、55町村が減少した。29年度は町村合併促進計画2年目にあたり、ことに30年4月の地方選挙との関連からも数多くの合併が計画されていた。その結果、豊後高田市成立を皮切りに31件の合併が行われ67町村が減少した。30年度は杵築市以下1市2町2村が新設され、9町村が減少した。31年4月1日現在、67市町村(11市33町23村)となる。
県下の町村合併は31年4月1日、促進法有効期限の半年前に達成された。上からの強力な指導による大合併は当然、各地に紛争を引き起こした。
参考文献 豊田寛三ほか『大分県の百年』
[加藤 泰信]
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